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Columnコラム

2026.03.13
仙台駅前美容外科について

【仙台駅前美容外科】院長 安本匠の経歴について~高校卒業からTCB入職まで【前編】

美容外科医を選ぶ基準として、よく挙げられる項目にドクターの「経歴」があると思います。以前から「経歴でドクターを選ぶと失敗するのでやめた方が良いですよ」とお伝えしてきました。なぜなら、経歴は大抵盛られていたり省略されていますし、そもそも経歴をプロの私が見てもそのドクターの実力を判断することができないからです。

詳しくは関連コラム「経歴でドクターを選ばない方が良い理由」をご覧ください。

簡単に言えば、所属していた病院や資格を見てもそのドクターのバックグラウンドがわかるだけで、手術が上手いか下手か、患者様の希望の状態をきちんと聞いてくれるドクターなのかはわからないからですね。

そんなこと言って「どうせ貴様の経歴がしょぼいからそんなことを言っているんでしょ?」と思っている人もいるかもしれませんね。今回は、その私の「しょぼい経歴」を前編・後編の2回に分けて解説したいと思います。

【前編】ショボい?高校卒業〜TCB入職まで…心臓血管外科医だった私の経歴を初めてお話しします。

目次

私の経歴
はじめに
高校卒業から医学部入学まで
医学部時代
就職活動
研修医時代
心臓血管外科医時代と退職の決意
私の経歴についての考え
私の経歴に対する誤解と専門医取得について
医師としての経歴より大切にしていること

私の経歴

はじめに

まず、経歴の説明をする前に、私の経歴は一般的な美容外科医や保険診療の医師が公開しているものよりかなり詳細かつ正直に記載しており、盛ってもいるわけでもありません。また、経験が浅いことを隠すために年号を書いていない場合も多い業界ですが、私は年号も正確に記載しているということは予めお伝えしておきます。

仙台駅前美容外科院長 安本匠の経歴

その上で、これだけを見ても十分に理解できるものではないので、この経歴の裏にある私の人生の物語を、今回は少し書きたいと思います。

関連ページ:ドクター紹介

高校卒業から医学部入学まで

高校総体(弓道大会)にて
弓道大会(高校総体)

私は2001年に宮城県仙台第一高等学校を卒業しました。高校卒業後、「数学をもう少し極めたい」との思いから、専修学校である河合塾仙台駅前校に入学しました。翌年、ありがたいことに代々木ゼミナール仙台校より「学費を全額免除するから、うちに来ないか?」とお誘いを頂きまして移籍することにしました。しかし、かねてより医師になりたいという思いがありまして、代々木ゼミナールで秘かに仮面浪人しまして、2003年、山形大学医学部医学科に入学しました。

医学部時代

大学2年時に、人体解剖や組織解剖、神経解剖などで人体の構造や機能に感銘を受けました。「もっと勉強をしたい」という思いが通じたのか、なんと教授会の計らいで翌年も2年生として学べることになりました。大抵の医師は同級生はせいぜい100人ですが、私の場合そんなわけで同級生が200人います。同級生が多いと医師になった時に他科との連携が取りやすかったり、転勤した時に知り合いが多くて心強かったりします。

大学2年生であらゆる基礎系科目を2回学ぶ機会を与えられた私は、満を持して3年生に進級することにしました。3年生以降は臨床医学を学ぶ中で、循環器に興味が出てきてむしろ「早く現場に行きたい」という思いが強くなりました。在学中に心臓血管外科に進路を決め、医局にデスクが用意されて勉強する日々。CBTは学年トップクラス、OSCEはほぼ満点、国試も余裕でパスしました。

※CBTとはComputer-Based Testingの略で、大学3~4年時に課される臨床医学に関する全国共通のテスト
※OSCEとはObjective Structured Clinical Examinationの略で、大学4~6年時に課される臨床能力を問われる実技試験のこと

医学部5年生、米沢にて
医学部5年生、山形県米沢市にて

就職活動

心臓血管外科医になるのであれば、母校の医局に所属するのが1番ではないかという考えの元、マッチングは山形大学医学部附属病院1本としました。当時から外科医不足が問題となっており、その年から始まった外科医の養成に特化した定員4人の外科重点プログラムに応募し見事合格しました。

マッチングとは、医師の就職活動であり、CBTやOSCEなどの成績で合否が決まります。大学病院は人気が無いので基本的に定員割れですが、その年は例外的に人気の年で、第1志望の研修プログラムに受かるかは成績次第でした。

私はこうして大学所属の研修医として医師としてのキャリアをスタートしました。

研修医時代

医局の指示で初年度は大学での研修、2年目は県内の最も外科手術の件数が多い総合病院での研修を私が希望し認められました。これはいわゆる「たすき掛け」という制度で、大学の研修プログラムの中で一定期間市中病院で研修することで、より充実した研修を受けることができる制度です。
※一般的に市中病院の方が研修医が執刀できる症例が多いので、市中病院の方が経験を積める

私は救急・内科などの必修診療科を除き、全ての期間を一般外科と心臓血管外科で研修しました。外科系の研修期間は2年間の初期研修医のうち13か月間あり、術者として100例以上の手術を経験することができました。1ヶ月くらいしか外科系の診療科を経験しないで美容外科医になる直美もいますが、私の初期研修はハイボリュームセンターでのガチの外科研修を1年間経験しているので、通常のゆるい初期研修とは全く違うものでした。
※直美(ちょくび)とは、2年間の卒後臨床研修を修了してすぐに美容外科医になること

私の経歴を見て、2010年に大学病院、2011年に日本海総合病院で勤務となっているので、大学病院での研修を1年で放り投げて違う病院に移ったと解釈する人もいるのですが、説明してきた通り「たすき掛け」という制度を利用して、大学病院に所属しながらより経験を積める日本海総合病院に1年間外科研修に行っていたというのが真相になります。なお、たすき掛けで行く病院はいくつか選ぶことができたのですが、私は外科プログラムを選択した研修医で1番成績が良かったので、最も症例数の多い日本海総合病院を選ぶことができました。

心臓血管外科医時代と退職の決意

2年間の初期研修修了後、3年と少しの期間、心臓血管外科で後期研修を行いました。その後、色々思うところがあって退職に至ります。どうして心臓血管外科を辞めたのかという理由をお話しすると、簡単に言えば、3年間激務を経験して残りの30年くらいこの診療科で働き続けることに後悔しないかと考えたときに、後悔するだろうという結論に至ったからです。

手術室にて
手術室にて

心臓血管外科は、朝7時前にICUに出勤して、回診後に夕方まで手術、22時に帰宅するというのが手術日の流れで、それが週3回ありました。術後管理のために若手は週1~2回病院に泊まるというのがルーティーンです。このルーティーンに追加して週に1~2件、夜間の緊急手術や救急対応があります。夜通し手術しても翌日のルーティーン業務が無くなるわけではありません。また、土日祝日も関係なく毎日出勤なので、病院に出勤しない日はゴールデンウィークに3日、夏休みに9日、年末年始に3日のみです。その間は3~4か月連続出勤が続きます。

ICUにて
ICUにて

それに加えて、年に何度も学会発表をこなすわけですから、過労死しなかったのが不思議なくらいです。一時期体調を崩して3か月咳が止まらなかったことがあり「お前、そろそろ死ぬんじゃないか?」なんて上司に言われたこともあります。

東日本大震災などで身近な人の死を複数経験し、家族の在り方や人生について考える機会がありました。このような生活をあと30年続けることについて考えた結果、30年後自分の人生に後悔しないか、家族を幸せにできたと言えるのか疑問に感じたのです。そして、2014年の末頃、医師5年目のときに心臓血管外科を退職する決断をしました。

少人数の医局だったため、迷惑が掛からないように引き継ぎなども含めて2015年の4月末まで勤務して退職となりました。心臓血管外科を辞めたのは、職場環境が悪かったとか、国の制度が悪いとか、そんなことは微塵も思っていません。私自身に心臓血管外科医としての適正が無かっただけであり、私が弱い人間だからに他なりません。私を育ててくれた医局や諸先輩方にとても感謝していますし、志半ばで辞めてしまったことは今でも申し訳なく思っています。

私の経歴についての考え

私の経歴に対する誤解と専門医取得について

そういう、私の想いや経緯を全く知らない人から、2012年以降、大学病院と日本海総合病院を行ったり来たりしているので「1年持たずに病院を転々としているハイポな医者だ」という指摘をされたこともあります。もちろん、病院を転々としているのは医局人事での異動であり、私の希望で転勤したわけではありません。医局の方針で若手をいろいろな病院で経験を積ませるために、関連病院を短期間に転々とさせることは医師のキャリアではよくあることです。
※「ハイポ」とはギリシャ語の「hypo-」に由来する医学用語で「下」を意味する。「ハイポな医者」という文脈だと「意識が低い、やる気がない」という意味。対義語は、「ハイパー(hyper-)」。

ここまでコラムを読んで「いやいや結局心臓血管外科も3年間でやめているわけで、臨床経験少なくないですか?専門医持ってますか?」と思っている人もいるでしょう。

確かに、初期研修を含めて臨床経験5年というのは医師として経験豊富とは言えないでしょう。しかし、心臓血管外科は様々な合併症を抱えた患者さんが多いことや、少人数の若手で対応していたこと、病院の滞在時間も通常の医師の1.5倍くらいはあったわけで、当然その分たくさんの経験を積んでおり、私が過ごしてきた5年間は一般的な医師の5年間と同一に語ることはできないと考えています。

もちろん、開心術や大血管手術の術者をたくさん経験したわけではありませんが、それなりに経験していますし、末梢の動脈・静脈疾患の手術や、一般外科で多くの手術を術者として経験し、一般的な美容外科医にとって必要な外科的なスキルの礎は築いてきたつもりです。

専門医については、確かに心臓血管外科専門医は取得できる期間まで在籍していなかったため取得できていませんが、外科専門医と脈管専門医は取得要件を満たしていたので試験を受けて取得しました。

医師としての経歴より大切にしていること

もし、あと2年弱心臓血管外科に所属して心臓血管外科専門医を取得したとしても、美容外科医として働く上で何か変わるかと言うと、何も変わらないというのが答えだと思います。むしろ、あと2年心臓血管外科に所属し心臓血管外科専門医を取っていたら、そもそも美容外科医にはなっていなかった可能性が高いです。私が美容外科医になったのは、心臓血管外科を辞めるタイミングでたまたまTCBの創業者の先生と出会ったからであり、そうでなければ美容外科との接点がないのです。

私は今の自分や自分の人生にとても満足しているので、自分のこれまでの決断は間違っていなかったと思っています。何よりあの時、心臓血管外科を辞めていなければ、次男と長女には確実に出会えていないので、心臓血管外科専門医を取らなかったことに何の後悔もありません。 また、浪人と留年をしていなければ妻にも長男にも出会えていないわけですから、それらも含めて私の人生にとって大切な経験だったと思っています。

もし、私が真面目な人間で現役で医学部に受かってストレートで大学を卒業していたら、今の家族はいないし、今のTCBも存在しなかったし、こうしてコラムを書いていることもありません。そう考えると、人と人との縁とは不思議なものだと感じています。

私は別に完璧な人間ではないし、真面目に勉強してきた方ではありませんが、家族に恵まれ、自分のやりたいことをやって生きているから、それで十分だと思っています。

前編は主に保険診療時代の経歴について書きました。 後編ではTCBに入った経緯や私がTCBで築いてきたキャリアについて解説したいと思います。

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