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Columnコラム

2025.06.01
TCBについて

TCB東京中央美容外科を退職した経緯について

私がTCB東京中央美容外科を退職したのは、2024年の12月です。当時、美容業界を取り巻く様々な出来事があった時期でもあり、私の退職について様々な憶測や噂が流れていたことは、私の耳にも入っています。退職したタイミングがたまたまその時期だっただけで、TCBを辞めようと思ったのはもっと前の段階であり、TCBに退職の意向を伝えたのも2024年の夏頃のことです。退職を決めたのは皆さんが思っているようなことではなく、またもちろん自分の意思で辞めることを決めました。

TCB退職の経緯とは?

TCBへの入職と成長の軌跡

さて、まず、退職の経緯をお話する前に、私がTCBで何をしてきたのかを知っていた方が理解が深まると思いますので、まずはそこからお話ししたいと思います。私がTCBに入ったのは2015年の5月、医師になって6年目でした。当時は福島に1院しかなくて、ドクターも創業者の先生と私の2人という状況でした。その後約10年かけてTCBは今の規模まで成長し、全国に100院以上、ドクターも数百名在籍する日本を代表とする美容外科グループに成長しました。

私自身は、福島院の副院長から始まり、福島院・郡山院の院長を歴任した後、2016年に仙台院の立ち上げを経験しました。約7年間仙台院(現在のTCB仙台駅前院)の院長として、非常に多くの症例経験を積むことができました。2023年にはTCBの本院である新宿三丁目院の院長と東京エリア総括院長に就任しました。

また、TCBの運営に関わる運営委員会にも所属し、TCBの運営に関わることも多かったです。中でも、技術指導医の中のトップのポジションの医師として、100人以上のドクターの指導にも携わりました。施術の指導だけではなく、TCBのほとんど全ての施術の開発、施術マニュアルの作成、同意書などの文書作成なども私が担当しておりました。他にも、マーケティング戦略、クリニック業務に関わるシステム開発と改善、仕組みづくりにもドクターの立場から関与しておりました。これらの経験を通して、グループの成長とともに、美容外科医として、また人間として大きく成長できたと自負しています。TCBでの私に与えられた職場環境や、私のためにしてもらったたくさんのことに、とても感謝しています。

私自身SNSに興味があり、TCBでは積極的に情報発信を行ってきました。TCBを代表してXでのポストやTCB公式のYouTubeチャンネルを担当し、そこで施術の解説やたくさんの手術動画を公開していました。YouTubeに関しては300本以上公開したと思います。その集大成として、二重整形に関する解説動画やXでのポストをまとめた著書『美容外科医が教える二重整形ここだけの話(ゴマブックス)』を2023年に出版したことは、TCBの中で最も印象に残っている仕事の1つです。

TCB本院の院長・東京都エリア総括院長に上り詰めて感じたこと

TCBは1院から100院へと日本を代表する規模のグループに成長したわけですが、最初の頃は、規模も小さく私自身がグループの中で果たす役割が大きくて、グループが成長していく原動力になるところもあったのではないかと思っていました。その後グループが大きくなるにつれて、バックオフィスを含めて組織がものすごく大きくなっていきました。ドクターだけで300人、スタッフ数が数千人規模になったわけです。その中で、私自身がグループの中で果たせる役割がすごく小さくなっていったという想いがありました。私はTCBに数百人ドクターがいる中で、TCB本院の院長であり技術指導医のトップでしたし、運営にも関わってはいました。しかし、退職を決意した頃は、単に100院ある中の1つの院の院長、1プレイヤーとしての自分しかいなくなっていた気がします。もちろん、これは自分の能力やキャパシティの問題でもあり、数千人いれば優秀な人がたくさんいるので、組織として当然のことだとは思います。私がいなくてもTCBはこれからも成長を続けていくだろうし、結果的に私という人間の存在価値がTCBの中で一定の役割を終えたという自己分析に至りました。

もちろん、TCBにいなければ経験できないこともたくさん経験させてもらいましたし、辞めなければこれからも経験できたとは思います。一方で、TCBの本院の院長になってもできないことも結構ありました。大きな組織の中で、役割分担と権限の細分化が進むことで自分の役割が限定されてきたということが大きいと思いますが、そうなったときに、「自分はこうしたいけど、グループの方針はこうだからできない」ということが頻発して、自分の中で大きなストレスになっていきました。その辺が、私がTCBを退職した大きな動機の1つだと思います。

退職を意識したのは2024年の初頭です。本院の院長に就任して数ヶ月が経過した頃です。最終的に退職を決断してTCBに伝えたのは夏頃で、実際に退職したのは2024年末です。業界内で様々な出来事があり、大変な時期ではあったかと思いますが、それとは全く関係が無い個人的な想いで私は退職しています。自分がやりたいことをやりたくてTCBを辞めて開業する決意をしたのです。退職に際してTCBにネガティブな感情は全くありませんし、むしろ感謝しています。これからも何か一緒に仕事をすることもあるかも知れません。私はTCBを去りましたが、すごく刺激的な日々を過ごし、得られた経験は私の人生の中で宝物だと思っています。

仙台に美容外科クリニックを開業

開業、そして新たな挑戦への決意

今回、自分の地元仙台の地で新しいクリニックを立ち上げますが、何をしたいかというと患者様にとって最良の医療を提供したいと本気で思っています。10年間かけて培った技術、最も私が良いと思ったものを提供していきたいというのが今の想いです。各施術ワンプライス制でグレードは基本的にありません。なぜかというと、考えられる最良のものを提供したいからです。基本的にオプションは無く、必要なものがすべて含まれたオールインクルーシブ価格で提供します。極端に安売りすることは無く、極端に高い料金設定の施術もありません。極端な低価格で広告を出し、実際に来た患者様に高い金額で売りつける、提供する価値に見合わないような金額の施術を提供することはありません。提供する技術やサービス、価値に見合った価格設定の施術を提供することをお約束いたします。

美容外科でありがちなオプションで価格を吊り上げたり、医学的に意味が無いことでアップセルするようなことはしません。これは、今からそうしますということではなく、TCB時代からそういう信念をもってずっと美容医療を提供してきました。

安心して患者様にクリニックに来ていただきたい、そんな想いがあります。また、働いているスタッフやその家族に誇れる職場でありたいと思っています。私の考えに賛同してくれるスタッフ、患者様とともに最高のクリニックを作りたい、それが今の私のやりたいことであり、新しい挑戦です。

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